2001-05-24 第151回国会 参議院 内閣委員会 第11号
無論、合祀でございますから、これについては靖国神社の意思とそれから責任において行ったものであることは、これはそういうことでございますけれども、引揚援護局の祭神名票、いわゆる厚生省引揚援護局から送ってこられたその名票、これに依拠して靖国神社に合祀された、これもまた事実であるわけです。
無論、合祀でございますから、これについては靖国神社の意思とそれから責任において行ったものであることは、これはそういうことでございますけれども、引揚援護局の祭神名票、いわゆる厚生省引揚援護局から送ってこられたその名票、これに依拠して靖国神社に合祀された、これもまた事実であるわけです。
○山中(邦)委員 恐らく述べておられるのは「山西軍参加者の行動の概況について」、昭和三十一年二月三日、厚生省引揚援護局未帰還調査部の書類を指すのだろうと思いますが、結局のところ調査を要したというのは、関係者の現地除隊の直接の担当者の記録はなかった、その上でいろいろ調べて認定をせざるを得なかった、こういうことになるのでしょう。
昭和三一年以降は、厚生省引揚援護局及び地方公共団体の当局が協力して、太平洋戦争の戦没者の合祀事業に協力し、靖国神社には二百四十数万柱の戦没者が合祀されることになった。そして、これは、世間的に何らの問題とされることなく実施された。
民間の犠牲者につきましては、これは厚生省引揚援護局の資料でございますが、邦人の死亡総数は約十七万名、そのうちの約十三万名は昭和二十年から二十一年の越冬期――冬の間に亡くなられたというふうに推定されております。 千島――シュムシュ島からウルップ島まででございますが、この千島に対する攻撃は、昭和二十年の八月十八日ソ連軍がシュムシュ島を攻撃開始したことによって始まっております。
昭和三十五年の六月六日に民事(五)発第一五三号で法務省民事局第五課長が厚生省引揚援護局庶務課長あてに回答を出していますね。
ついては、右の趣旨」云々、それからあとの厚生省引揚援護局照会に対する文書では「朝鮮人の婚姻、養子縁組その他の身分行為について法則の規定によりその本国法に準拠すべき場合における本国法とは、わが国が事実上承認していると認めるべき大韓民国の法律を指すものをいうべく、したがって、当該朝鮮人が南朝鮮人であると北朝鮮人であるとを区別することなく、すべて「韓国民法」は大韓民国政府により一九五八年二月二十二日法律第四百七十一号
○岩間正男君 一九五九年十二月二十八日付の民事局長通達民事甲第二百九十八号、それからもう一つついでにお聞きしますが、これは一九六〇年六月六日付の厚生省引揚援護局照会に対する法務省民事局第五課長回答、この二つ。
進君 高田なほ子君 赤松 常子君 辻 武寿君 国務大臣 法 務 大 臣 植木庚子郎君 政府委員 法務省矯正局長 大沢 一郎君 最高裁判所長官代理者 最高裁判所事務 総局総務局長 桑原 正憲君 事務局側 常任委員会専門 員 西村 高兄君 説明員 厚生省引揚援護 局
次に、同隊においては、かねてから舞鶴湾口博奕岬に警備所設置の計画を持っており、本年六月から着工の予定にしていたところ、着工寸前、京都府知事の反対意見があって、一時延期の状態になっておるので、なるべく早く着工できるよう取り計られたい旨、また、旧厚生省引揚援護局跡の施設を利用して、ここに同隊隷下の教育隊を移転せしめる計画を持っているが、これも地元舞鶴市の工場誘致計画と競合し、その打開策に腐心しているが、
坂本 昭君 委 員 鹿島 俊雄君 勝俣 稔君 紅露 みつ君 谷口弥三郎君 徳永 正利君 山本 杉君 横山 フク君 相澤 重明君 村尾 重雄君 竹中 恒夫君 政府委員 厚生省引揚援護局
小坂善太郎君 厚 生 大 臣 古井 喜實君 労 働 大 臣 石田 博英君 政府委員 外務大臣官房長 湯川 盛夫君 厚生大臣官房長 高田 浩運君 厚生省医務局長 川上 六馬君 労働大臣官房長 三治 重信君 事務局側 常任委員会専門 員 杉田正三郎君 説明員 厚生省公衆衛生 局環境衛生部長 聖成 稔君 厚生省引揚援護 局
大 臣 中村 梅吉君 政府委員 建設省道路局長 高野 務君 建設省住宅局長 稗田 治君 事務局側 常任委員会専門 員 武井 篤君 説明員 大蔵省主税局税 制第二課長 志場喜徳郎君 厚生省児童局母 子福祉課長 植山 つる君 厚生省保険局 厚生年金保険 課長 加藤 威二君 厚生省引揚援護 局
鹿島 俊雄君 勝俣 稔君 紅露 みつ君 佐藤 芳男君 谷口弥三郎君 徳永 正利君 山本 杉君 政府委員 厚生政務次官 内藤 隆君 事務局側 常任委員会専門 員 増本 甲吉君 説明員 厚生省引揚援護 局
藤原 道子君 田畑 金光君 村尾 重雄君 竹中 恒夫君 政府委員 厚生政務次官 内藤 隆君 厚生省公衆衛生 局長 尾村 偉久君 厚生省医務局次 長 黒木 利克君 事務局側 常任委員会専門 員 増本 甲吉君 説明員 厚生省引揚援護 局
尾村 偉久君 厚生省医務局長 川上 六馬君 厚生省医務局次 長 黒木 利克君 厚生省薬務局長 高田 浩運君 厚生省社会局長 高田 正巳君 厚生省児童局長 大山 正君 厚生省年金局長 小山進次郎君 説明員 大蔵省主計局主 計官 岩尾 一君 厚生省保険局次 長 山本浅太郎君 厚生省引揚援護 局
小柳 勇君 森中 守義君 常岡 一郎君 大竹平八郎君 竹中 恒夫君 政府委員 農林省農林経済 局長 須賀 賢二君 事務局側 常任委員会専門 員 池田 修蔵君 説明員 大蔵省銀行局特 別金融課長 磯江 重泰君 厚生省引揚援護 局
本件に関して御出席の方は、参考人として国民金融公庫総裁中村建城君、桐生公庫経理部長、堀内公庫総務部次長、多賀監理部次長、大蔵省銀行局特別金融課長磯江君、上村検査院第五局長と厚生省引揚援護局庶務課長小池君の諸君であります。 まず、会計検査院から概要の説明を願います。
日本人の行方不明者の調査の問題が、これは日本政府の責任の問題だという一つの例証でありますが、中国人の遺骨を調査をしておる際に、佐世保港外の針尾島で、昭和二十四年一月、当時の厚生省引揚援護局の関係者で、平井富尾氏という人が立ち合ったというのですが、七千余体のこれはもう遺体になって、ビニールに似たようなものに包んであって、ほとんど腐敗に近かったというのでありますが、比島から送還をされた七千余体のものを火葬
島村 軍次君 千田 正君 北條 雋八君 委員外議員 羽生 三七君 事務局側 常任委員会専門 員 安楽城敏男君 説明員 防衛庁防衛局長 林 一夫君 文部省管理局学 校給食課長 宮川 孝夫君 厚生省公衆衛生 局環境衛生部長 尾村 偉久君 厚生省引揚援護 局
片岡 文重君 木下 友敬君 山下 義信君 竹中 恒夫君 説明員 調達庁労務部長 小里 玲君 自治庁財政部理 財課長 山野 幸吉君 厚生政務次官 中垣 國男君 厚生省公衆衛生 局長 山口 正義君 厚生省公衆衛生 局環境衛生部長 尾村 偉久君 厚生省引揚援護 局
○藤田藤太郎君 そこで、その南洋方面と、中国、ソ連地区に推定大体五万人とおっしゃいましたね、四万何千人、その方々に対する、厚生省引揚援護局としては、どういう措置をおとりになっておるか。
楠美 省吾君 行政管理庁監察 部長 岡松進次郎君 防衛庁次長 増原 恵吉君 防衛庁長官官房 長 門叶 宗雄君 防衛庁防衛局長 林 一夫君 防衛庁装備局長 小山 雄二君 建設省住宅局長 事務取扱 鬼丸 勝之君 事務局側 常任委員会專門 員 杉田正三郎君 説明員 厚生省引揚援護 局